平和祈念公園は沖縄本島南部にあります。沖縄を南北に貫く国道331号線沿いにその平和祈念公園はありますので、車で行くにはちょうど良いでしょう。その立地は「第二次世界大戦沖縄戦終焉の地」、糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側には険しく切り立った美しい海岸線を眺望できる台地にあります。
現在、平和祈念公園は県営の公園ですが、古くは琉球政府時代に公園は整備され、沖縄日本返還の昭和47年から現在に至る公園の形に整備されてきました。
平和祈念公園には、壮絶な沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館があります。
また、同公園内には、沖縄戦でお亡くなりになられたすべての人々のお名前を刻んだ「平和の礎」があります。
また、同公園内には、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」があります。
そして、摩文仁の丘の上には、国立戦没者墓苑、府県他諸団体の慰霊塔が50建てられています。
そのため、国内外の観光客、慰霊団、修学旅行などで多くの方々が訪れる聖地とされています。また、沖縄の県民にとっても、休日には多くの家族連れが訪れ、芝生の広場でボール遊び、リクレーションに活用されています。
沖縄について第一日目、最初の訪問先は、「平和祈念公園」です。ホテルの朝食を早めに済ませ、午前8時35分、平和祈念公園の第一駐車場到着の写真です。写真中央の薄い青色の車が、今回のレンタカーです。車はレンタカー屋さん任せのプランなので、お店で「ヒュンダイ」とご対面です。現在は一自動車会社ですが、かつて韓国経済危機以前は、1967年創立の大韓民国の旧大規模企業集団であり、韓国財閥トップでした。2015年以降は、中堅企業(韓国の法的にの意味)まで企業規模が収縮します。現在は、ヒュンダイ(現代自動車)として2017年時点は、世界第五位の自動車メーカーです。最初は、国産の車でないので心配しましたが、乗りやすい車でした。
車を第一駐車場に停めて、まず駐車場近くの平和祈念公園案内図が南北園路を隔てておかれていたので、見に行きました。
とりあえず、反時計回りに観光することにしました。
平和祈念公園は沖縄戦終焉の地、糸満市摩文仁に位置し、雄大な海蝕岸景観の海岸線を有するサンゴ礁台地に立地しています。この地域は、日本の歴史上、唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄戦最後の激戦地であることから、昭和40年10月1日、当時の琉球政府により当該地を含む糸満市及び具志頭村を政府立公園法第二条に基づき、沖縄戦跡政府立公園(自然公園)の指定を受けました。(指定面積 陸 3127ha 海 1932ha )
公園の南側丘陵地域は、沖縄戦により多くの尊いいのちが失われた地、多数の御霊の鎮魂と祈りの地であるので、厚生局援護課は霊域としての整備を開始しました。
昭和47年4月末までに、周辺地域の用地を買収し、参拝道、噴水広場、平和祈念広場等の各種公園施設の整備を行った。
昭和47年5月15日には、沖縄、県の祖国復帰に伴い生活福祉部援護課から土木都市計画課への所管替えが行われました。
昭和50年6月、沖縄県立平和祈念資料館を建設開館しました。
昭和53年10月1日、財団法人沖縄協会により、沖縄平和祈念堂が開堂しました。
平和祈念公園は四つのゾーンに区分されています。
御霊の鎮魂と祈りの「霊域ゾーン」、安らぎと散策の「園路広場ゾーン」、戦没者の追悼と平和祈念の「平和ゾーン」、健康運動と自然観察の「レクリエーションゾーン」です。
霊域ゾーンは、公園の東南部一帯の丘陵地で面積12ha、沖縄戦で最後の激戦地となった場所であり、国立戦没者墓苑や各県の慰霊塔が建立されています。
園路広場ゾーンは霊域の西側一帯で面積4haの広場や散策路が整備されています。
平和ゾーンは、公園中央部のエントランス広場近傍にあり、平和の礎や平和祈念資料館、平和の丘、沖縄平和祈念堂等の公園の主要な施設が整備されています。
レクリエーションゾーンは、北側一帯の約14haで既存施設と調和した動的レクリエーション施設の多目的広場やこども広場、展望広場等が整備されています。
平和祈念公園を第一駐車場から反時計回りに歩いていくと、第二の公園案内図がありました。左上の写真の奥には式典広場が広がり、その写真の右上には平和の丘とその場所に置かれているモニュメントが見えます。
右上の写真は平和祈念公園案内図の拡大版です。
次に南園路を右手に多目的広場を見ながら、緩やかに右にカーブする道を歩いていくと、白い壁に赤茶色の瓦屋根のトイレが見えてきました。形が珍しいのと、真っ白い壁と赤茶色の瓦屋根が珍しくて写真を撮りました。
沖縄は島だからでしょうか。本土と比べて、空が近いように思われます。
平和祈念公園内のわんぱく広場付近にあった「ハブに注意」の看板です。子供の遊ぶ広場の近くにハブが出るというのは驚きでした。
また、沖縄には、「ハブ咬み症注意報」の発令があるようです。沖縄県のホームページには、ハブの情報が詳しく乗っています。このような内容でした。
沖縄県内には猛毒を持つハブが生息し、年間100人前後のハブ咬症患者が発生しています。暖かくなるとハブの行動が活発になり、加えて農作業や行楽等で田畑や山野への出入りが多くなるこの時期にハブ咬症被害者が多くなります。
ハブ咬症被害者は、私たちの注意によって防止することができます。ハブ咬症被害は、私たちの注意によって未然に防止することができます。
国立沖縄戦戦没者墓苑のある摩文仁の丘に上がるため、木道階段を上ることにしました。木道階段入り口から見上げると結構な高さがありますね。
木道階段頂上付近から木道階段の入り口の方向を振り返ると、沖縄県糸満市の市街地が見えます。
写真を見ると分かるように、鉄筋コンクリート造りの住宅がほとんどです。それは沖縄の住宅は本土の住宅とは違う環境にさらされているからです。
その環境とは台風と湿度が高いため、白アリの被害です。そのために、台風の強い風雨に耐え、白アリの被害を防ぐ鉄筋コンクリート造りの住宅が好まれるのです。
次の特徴は赤い瓦です。
沖縄の民家の写真を見ると赤い瓦の写真が多いのには家を守る理由があるのです。この赤い瓦は「琉球赤瓦」と呼ばれています。沖縄の雨の被害は本土とは違い強い雨が長時間降るので、本土の瓦のように瓦をただ並べて載せるだけでなく、瓦が飛ばされないように、瓦の側面とつなぎ目に塗ります。そして瓦の色が赤いのは、琉球赤瓦は吸水性が高く、通気性も良く屋根の木構造を湿気から守ります。さらに通気性が良いので室温上昇を防ぐ役割があるのです。
次に沖縄でよく目にするのが、家を取り囲む石垣です。沖縄の市街地では鉄筋コンクリート造りが主流ですが。郊外には、昔ながらの赤瓦の屋根の木造民家が残っています。台風から家を守る昔の人の知恵として石垣が家の周囲にあるのですね。
最後に、シーサーがあるのをよく目にしますね。シーサーは家と建物を邪なものから守ってもらうために、門柱や屋根の上に置かれているのですね。
木道階段の頂上付近には、摩文仁の丘と黎明の塔・健児の塔への分岐点がありました。摩文仁の丘に行くために、ここまで木道階段を上がってきましたが、黎明の塔に立ち寄ることにしました。